2月2日と3日に神田神社の「節分祭」がありました。
神田神社は文亀5(1503)年当時祇園町の武田山にあった銀山城の城主として安芸の地を治めていた武田光繁が、祖国甲斐の国、今の山梨県から城の守護神として安芸郡牛田村、今の東区スポーツセンターあたりに奉遷したのが始まりだと言われています。
その後、明治22(1889)年神領地は旧陸軍省の用地となり、神田神社は当時千田貞暁が埋立てた新開地である宇品へ移転しました。
神田神社は宇品の氏神様で、節分祭、大祭、亥の子祭りの時には、総代である各町内会長が参加して祭事を執り行います。
私も祖父、父の後を受け町内会長をお引き受けしており、この日も祭事に出向きました。
神田神社の節分祭では、神事の最後に照明が消され、神社内で神主が「福は内、福は内、鬼は外」と声を出し、その後、境内に向かって「福は内、福は内、鬼は外」声をかけます。
鬼を祭神または神の使いとしている神社では「福は内鬼も内」だったり、苗字に“鬼”がつくご家庭(鬼頭さん、鬼山さんなど)でも「福は内鬼も内」と掛け声をします。
また「福は内」としか掛け声をしない地域や「福は外、鬼は内」と掛け声をするところもあるようです。
写真は祭事が終わった後、健康と商売繁盛を願ってお参りされている写真です。